住所 岐阜市加納中広江町27 民芸品店・舞踊品店 URL www.kano-wagasa.jp/ |
明治23年 | 初代永吉 父・幸治郎(大工)、母ともの長男として岐阜の柳津に誕生 |
14才の時 | 大阪の洋品店に奉公に出る |
18才の時 | 生家に戻る 傘の魅力に目覚め、市川捨吉商店に職人として入る。8年間修行する |
大正2年 | 永吉、絹日傘を考案し、傘屋を始める |
大正4年 | 永吉、26才の時、独立 |
大正14年 | 坂井田永吉本店を創業 |
昭和3年 | 海外へ和傘を輸出 |
昭和35年 | インテリア用としてアメリカに輸出 |
昭和36年 | 初代永吉、死去 |
昭和38年 | 2代目英吉、会社組織とする |
昭和39年 | 株式会社坂井田永吉本店となる 東京オリンピックで、蛇の目傘が選手の雨具として使用される |
昭和40年 | アメリカに“バンガサ•ブーム”が巻き起こる |
昭和43年 | “坂井田の和ガサ”が、米国のデパートの招待で海を渡る 作業場を加納駅前に移転 |
昭和44年 | 東京•銀座ソニービルで和ガサ即売会開催 |
昭和45年 | 吉城郡河合村で、主婦の副業として紙張り作業を委託 |
昭和48年 | 鳥取しゃんしゃん祭のジャンボ大傘を製作 |
昭和53年 | 京都祇園祭、綾傘鉾を復元製作 |
昭和54年 | 3代目永治、23才の時、本格的に家業を継ぐ |
昭和59年 | 映画会社からの依頼で直径6m、100人入るジャンボ和傘を製作 大阪国際見本市出展 |
昭和60年 | 二代目英吉、死去 |
平成19年 | NHK大河ドラマ「篤姫」家紋入り大傘の製作 |
平成20年 | 「日本の伝統工芸 和の傘・名古屋友禅展」inノリタケの森ギャラリーに出展 ダッシュ村にて番傘つくりの手伝い |
平成21年 | 名古屋 松坂屋本店 北館に出品 「〜飛騨•美濃自慢〜岐阜県の物産と観光展」東武百貨店 池袋店に出展 |
平成22年 | 名古屋ノリタケの森ギャラリーにて「COLLABORATION 和傘×SIBS36」に出展 |
平成23年 | 琉球舞踊家 山田多津子先生の依頼で琉球舞踊傘を製作 |
(さかいだ えいじ)
坂井田永吉本店 代表
1956年、岐阜県出身。大正2(1913)年創業の坂井田永吉本店の3代目。23歳のときから本格的に家業を引き継ぎ、2代目である父からは「技は盗め。伝統を守れ」と教えられた。創業者である祖父の永吉は雨傘が主流の和傘に斬新なスタイルの日傘を考案し、つくり出した人物。「祖父が作った日傘のような、綺麗な和傘をつくりたいと思っています」。
陶芸家として岐阜市で活動をしている私ですが、土ではない素材に触れてみたくなり、和傘づくりを手伝うようになりました。竹、紙、木、油、漆といった素材と職人技が織りなす妙に魅かれています。
生まれた時から身近に和傘があり、幼いころは漆や油の匂いが苦手でした。でも多くの方、職人さんから和傘のすばらしさを教えていただき、その歴史や伝統美、バリエーションに触れていくうちに、家業に深い興味を持ち携わるようになりました。今後も兄の永治とともに和傘づくりに取り組んでまいります。