岐阜の和傘職人、坂井田永吉本店の坂井田永治が深い信頼を寄せる深い人「ディープピープル」と語り合います。
岐阜県立森林文化アカデミー(以下、森林文化アカデミー)の久津輪雅先生と坂井田永治をつなげた和傘の部品から、話は始まりました。
今回のテーマ「育」にどうつながっていくのでしょうか。

 

ディープピープル

 

目次

 

前編 

後編

 

エゴノキという素材が育んだつながり

エゴノキ

出会いはろくろ、そしてエゴノキ

 

坂井田  今日はお時間をつくっていただき、ありがとうございます。森林文化アカデミーの教員をしていらっしゃる久津輪先生とおつきあいさせていただくようになったのは、和傘の開閉のための重要な部品、轆轤(ろくろ)がきっかけでした。

 

久津輪  そうですね。岐阜は和傘の生産地として昔から多くの人が携わってきたのにも関わらず、現在ではこの轆轤をつくるのが岐南町の長屋木工所一軒だけになっていて、後継者がいないという危機以上に直近の問題として「轆轤の材料になるエゴノキが手に入らなくなるかも」ということに直面していました。坂井田さんもエゴノキのことは心配されていたと思いますが。

 

坂井田 はい、でも私は長屋さんや久津輪先生ほどには危機感を持っていなかったのです。和傘づくりは分業制で、私は最後

の仕上げをする「問屋」であり、長屋さんほどその素材と直結していないものですから。ところが、ついにエゴノキを長屋さんに納めていた方が亡くなられてしまい、これは大変だ……、と。

 

 

ろくろ

久津輪  そう、その方にすがってきた材料の調達が、ついに途絶えてしまって。何といってもエゴノキは、スギやヒノキと違って市場に出ない木ですし、他の木では代用がきかないわけで。轆轤がつくれなくなれば、当然和傘もできない…と、もう崖っぷちです。しかもエゴノキのストックは2013年の分しかないという事態に陥っていました。

 

ちなみに大正3(1914)年に出された『岐阜県林産物一班』という本を見ますと…エゴノキの用途としては傘(カラカサ)、轆轤(ロクロ)と明記されています。そしてこう説明があります。「えごのき。材質緻密にして材膚穏軟割れ難く、旋工に適す。土地肥沃の雑木に混生すれども、余り大木なし」と。つまり、この時代以前から轆轤といえばエゴノキと決まっていたわけです。雑木林にポツンポツンとあるような木だったから、昔は里の人がエゴノキを見つけると、これは傘屋に売ろう…と伐り出していたのではないでしょうか。森と人の関わり、里山の暮らしの証がエゴノキを使った轆轤ともいえると思います。

 

エゴノキプロジェクトはじまる

 

坂井田  そこで久津輪先生が中心になって行ったのがエゴノキプロジェクトですね。私も参加させていただきました。

 

久津輪  和傘の部品の材料となるエゴノキを確保するためのイベントとして、2013年1月に2回開催しました。フェイスブックやブログを通じて参加者

エゴノキプロジェクト

を募ったところ、座談会に50名、伐採に30名ほど集まり、岐阜県美濃市の山から500本のエゴノキを伐り出すことができました。一年で最低でも400本はエゴノキが必要といわれていますから、まずは来年の分までは確保できたわけです。

 

坂井田  私も皆さんと山に入って、木を見つけて伐るという現場に触れて本当に良かったです。参加者は美濃市の森林関係の仕事をする方、全国の和傘生産者、森林文化アカデミーの先生や学生さん、木や自然が好きな人たち…とバラエティに富んでいました。

 

久津輪  坂井田さんとお弟子さんの高橋さんから和傘の説明を受けて、森で見つけたエゴノキがこんなに美しい和傘を支えているんだ…と皆、驚いていましたね。1回目の時はあいにく雨天だったので、みんなで座談会をしたでしょ。あれがとても良かった。


エゴノキプロジェクト

坂井田  そう、プロジェクトを通じて人と人が繋がり出した感じがしました。私も鳥取や東京など、全国の同業者や関係者の方と交流することができましたし。みなさんには「和傘の存続のためには、岐阜が動き出さないといけない!」と叱られましたけど(笑)。

久津輪 それは最大のエールですよ(笑)。何といっても全国一の生産地である岐阜ががんばらないと、和傘は廃れてしまいますから。

 

           後編へ続く

 

コラム 伝承の技和傘とは ディープピープルと語る