岐阜の和傘職人、坂井田永吉本店の坂井田永治が深い信頼を寄せる深い人「ディープピープル」と語り合います。
岐阜県立森林文化アカデミー(以下、森林文化アカデミー)の久津輪雅先生と坂井田永治をつなげた和傘の部品から、話は始まりました。
今回のテーマ「育」にどうつながっていくのでしょうか。

 

ディープピープル

 

目次

 

前編 

後編

 

エゴノキという素材が育んだつながり

 

エゴノキ 出会いはろくろ、そしてエゴノキ

 

坂井田  ところで受け継ぐ人を育てることも大きな課題になっていまして……、うちの場合は幸いなことに高橋という若い女性が弟子入りしました。彼女は自分の生まれた地にこのような伝統文化があることに感動して、和傘の世界に飛び込んだわけです。そんな彼女は仕事を覚える中で、常に質問をし

てきまして、私はそれに答えるというカタチで伝えています。昔ながらの技は盗んで覚えろ、見て覚えろということだけではないですね。最近では漆をかける技術を、私より腕のいい人から習わせています。高橋のやる気を認めてくれた人が「坂井田さん、私が教えるから」と言ってくれて。

 

久津輪  それはいいことですね。

 

坂井田  今までのような高度な分業制では、いずれ成り立たなくなります。一人で2〜3種の工程をできるようにしていくことは、つくり手が少ない以上は必要なことですから。

 

ろくろ

久津輪  同感です。エゴノキプロジェクトでもうれしいことがありました。参加者の中から何と「轆轤づくりをやってみます」という人が出たんです。東京でエンジニアをしていた彼は、実際に会社を辞めて岐阜へ来ることになっています。まずは森林文化アカデミーに入学し、木工全般について学び、それから…ですが。ある程度、基本的な技術や知識を身につけてあげれば、応用がききますから。学校は人材育成の後方支援も担っています。
ちなみに彼には轆轤だけでは食べていけないかもしれないから、轆轤と傘骨(竹)、両方をつくれるようにしたらどうかとすすめています。一つの工程や部品、もっといえば一つの職業にこだわらなくても、何かと抱き合わせるという発想を持てば、やりたいことはできるし、未来はあると思いますね。

 

坂井田  本当に彼の存在はうれしい限りです。そういえば私の工房にも、森林文化アカデミーの学生さんや先生方が見学に来てくださいました。

 

久津輪  あの時は学生も教師も、何人か傘を注文して帰りましたね。あまりに美しいので欲しくなったのだと思います。森林文化アカデミーは、地域の問題や課題を解決するための学校でありたいという考えがあり、地域の課題やすばらしい点を意識しながら学生を教育しています。

ちなみに、鵜飼の鵜かごもつくり手が少なく、鵜飼の必需品が無くなってしまう!という危機を知り、私と学生とで師匠につくり方を習うところから始めました。こちらも崖っぷち状態に直面しての動きであり、学びですね。でも、こういった事態に悲観的になるのではなくて、じゃあ、自分がやってみよう!という明るい希望につながっていくのは不思議です。


鵜かご

 

和傘

私はいずれ技術を身につけて、退職後は鵜かご制作に携わろうと思っているぐらいです(笑)。だって鵜飼には必ず必要な道具ですし、長良川の鵜飼乗船場近くに住んでいますから、納品も近い。(笑)。

 

坂井田  それは素敵ですね(笑)。久津輪先生のような前向きな方がいてくださって本当に良かった。知り合ってまだ3年ほどですが、何かあると先生にご相談するようになっています。

 

久津輪  実は、私は岐阜の和傘についてあまり知らなかったんです。和傘は雨具として洋傘にとって変わられたもの、という風にも思っていました。でも和傘は単に雨具ではなく、歌舞伎や日本舞踊、茶の湯、神社の調度に至るまで、日本の伝統芸術や行事には欠かせない道具と知り、だからこそ残す意義があると気づきました。それが見つかったから、プロジェクトを立ち上げたんです。エゴノキプロジェクトはすでに次の開催日も決まっていますので、坂井田さん、またよろしくお願いします。

坂井田  こちらこそよろしくお願いします。今日の先生とのお話では、ものづくりの伝統文化を伝えていくこと、人を育てることについて、新しい発想や仕組みを変えていく大切さを感じることができました。エゴノキプロジェクトも続けて参加させていただきます。
本当にありがとうございました。

 

 

久津輪雅&坂井田永治

 

コラム 伝承の技和傘とは ディープピープルと語る